横浜〜福岡1100km!移住デザイナーの日々つれづれ。

横浜から福岡へ移住しました。日々思ったことを淡々と綴ります。

目的が曖昧なままに話を進めるとややこしくなるという話。

 

デザインの仕事をしていると、

お客さんや営業サイドとのコミュニケーションの中でよくあるのが、

そのデザインは何を伝えるためのデザインなのか、

曖昧なまま話が進んでしまう事。

それを防ぐためにはそのデザインを起こすことで何を一番に伝える必要があって、

なぜそれを伝える必要があるのか明確にする事。

その上でそれを伝えるための方法を模索していく。

色や書体の選定だったりサイズをどうするかだったり、

どんな写真のトーンにするかだったり、

写真のトリミングをどうするかだったり。

 

その中でよくあるのが、

その案件に関わる人すべてが、

色はこれがいい、配置はこうがいい、

ここの大きさはもっと大きほうがいい、

色使いはこうがいい。

関わっている人がいろいろな方法論や価値観を投げてくる。

 

もちろん関わる人すべてでモノを作り上げていくことは

自分が気づかなったことに気づくことができたり、

自分で気付かなかったいい作用がある事も事実。

しかし反面、人が多く関わるだけに意思統一や

コンセンサスを取ることが難しくもなる。

 

集団で一つのモノを作り上げたり

ゴールに向かってチームで事を進めていく事は、

やりがいがある反面、

チーム内のお互いの領域に踏み込みすぎても

結果として良くなることばかりでもない。

 

集まった人の数だけ価値観があるのであって、

その反面、最終的な目的地は一つだったりするから話がややこしいだけで、

常に最終目的地を確認しながらチームで進んで行くのが大事で、

その方法論について何が正しいとか間違ってるとか議論すること自体、

本質からずれていると思うし、なにしろ時間の無駄でしかない。

 

最終ゴールであり目的地が明確に共有できていれば、

余計な摩擦やロスもない。

 

なにか複数人で物事を進めていく時、

その完成形はどんな状態か、どんな効果があったら成功なのか、

関わるチームの中で常にそういった「最終目的」がなんなのか共有できていたら、

それって最強じゃないですか。

これが正しい、それは間違っているの無駄な議論もない。

お互いがお互いに認めあって一つの目的を共有し合えば、

つまらない揉め事はなくなるはず。

 

 

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提示した値段は高いのか安いのか。

 

デザイナーという仕事に就く場合、

大きく分けて制作会社や代理店、デザイン事務所で働くか、

もしくはフリーランスや自分で事務所を構えるのかのどちらかになる。

 

もちろんいきなりフリーランスから始めるという方は

よほど自分のお客さんを持っているか、

自分に果てしなく自信があるかのどちらかだろうと思う。

 

自分は会社やデザイン事務所に所属していた時期もあったし、

フリーランスでやっていた時期もある。

 

会社に勤めていると、

よほどのことがない限り給料は毎月自動的に振り込まれているわけで、

ある意味自分の生活、経済基盤はある程度保証されている。

 

その反面フリーランスで活動しているデザイナーは、

自分の仕事や価値に値段をつけ、

その値段で自分を買ってくれるお客様に対してサービスを提供している。

 

そんな時によく起こるのが、制作予算が折り合わず、

値段を提示した制作会社やデザイナーに対して、

デザイン代が高いから安くしてほしいというオーダー。

フリーランスで活動しているデザイナーにとっては死活問題になる。

 

正直デザイナーは一般的に単価の低い仕事といっても

知恵を絞っていいものにしたいと思うし、

あからさまに手をかけないようなやり方で納品すれば

次回の受注はないと肌で感じるので、

どんな仕事でも一定の成果を上げようと努力はする。

 

ところが発注した側のお客さんからすれば、

発注した時点でなんとなく自分なりに完成形をイメージしているはずで、

デザイナーが完成デザインを提出した段階で、

それが自分が思い描いていたものと違うと認識すると、

もちろん相場もあり一概には言えないが、

その制作代を「高い」と感じるようだ。

 

ここで以前からよく思うのは、

人は飲食店に行って食事を注文して食べた際に、

自分の思っている味と違ったからといって

安くしてほしいと言う人はおそらくいない。

なぜ制作業はそうなのか?

 

提供するものの価値を相手に正しく伝えられなければ、

それを受け取る側もその価値をおそらく本当は正しく理解していない、

というズレが生じ、お互いの独自の金銭感覚の判断基準で

高い、安い、を語ろうとする。

 

サービスや価値を提供される側も提供する側も、

自分が受け取るお金、払うお金の意味や価値の本質を正しく認識できれば、

単純な認識のズレで互いに残念な思いをすることもないんじゃないかと思う。

 

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ラーメン好きな自分が唯一とんこつラーメンで絶品だと思う店。

 

別段グルメではないが、食べる事は比較的好きな方で、

特に何が好きな物の一つとして上げられるのが「ラーメン」。

子供のそれで言う所の「ハンバーグ」みたいな物だと思うけど、

店構えの第一印象で入ったラーメン店が旨くなかったりした時の

ガッカリ度ときたら半端な物ではない。

 

東京出身で横浜に5年ほど住み、

味覚はすっかり関東の濃いめの醤油の味覚で育って来ている。

ラーメンといえば醤油ラーメンが当たり前だった。

トッピングにはメンマ、ねぎ、ナルト、そしてチャーシュー。

そんな東京ラーメンが当たり前だったから、

福岡に住むようになって、

周りにはとんこつラーメン店ばかりしかない事にとても戸惑った。

 

そんな中で唯一このとんこつラーメンは絶品だと思えるラーメン店が

自宅の近くにあったことがとても幸せ。

 

https://tabelog.com/fukuoka/A4003/A400301/40000506/dtlrvwlst/

 

東京ラーメンと横浜家系ラーメンで育ってきた自分にとっては、

とんこつラーメンの独特の臭みがどうしても受け入れられなくて、

横浜に住んでいた頃はほぼとんこつラーメンを口にすることはなかった。

 

それがここに来て、たまたま知り合いから美味しいラーメン店の

いくつかを教えてもらった中にあったのがこの「八ちゃんラーメン」だった。

そこは西鉄都府楼前駅を降りておよそ徒歩10分ほどのところにある。

 

じっくり煮込んだとんこつの旨みと、

濃いめの油でしっかりした味で臭みもそれほど無く、

スープを全部飲み干したくなるとんこつラーメン。

福岡へ来ていくつかのとんこつラーメン店は行ったけど、

このラーメンは別格だった。

店構えは失礼ながら決してそんなことはないのだけど、

聞くとやはりそれなりに有名な店らしい。

 

せっかく一食どこかでラーメンを食べるなら、

店が営業している時間ならばちょっと少し足を伸ばしてでも

ここのラーメンを食べたいを思わせる味。

 

苦手だったとんこつラーメンを美味しいと思わせてくれた店、

太宰府「八ちゃんラーメン」。

 

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好きなコトやモノの棚卸しをしてみた。

 

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人は誰でも自分にしかない好きなコトやモノがあるはずで、

この自分にとってもそれなりにいろいろ好きなコトがある。

ある程度長く人生を生きていれば、その時々で趣味嗜好も変わり、

それもたくさん積み重なって、やりたいコトや好きなモノが増えてくる。

 

ちょうど年が変わり新年になったこともあり、

今年一年どう過ごすか、今年の目標は何かなんて事を考える人も多いと思うけど、

時間はある程度限られているわけで、どれもこれも手をつけていたら

結局どれも十分に時間が取れずに実現することができず、

どれも実現できなかったというような事になりかねない。

そこでこの正月、自分が本当に好きなコトってなんだろうと考えてみた。

 

自分はギターが好きだった。でも今は処分してしまってほぼ手元に残ってはいない。

かろうじてあるのは安い国産のアコースティックギター一本だけ。

だけど少年時代に初めて見たエレキギターを生で見た衝撃は今でも覚えている。

 

少年時代に初めてバンドを組んでエレキギターを手にしてスタジオでアンプに繋ぎ、

大きい音を出した瞬間の衝撃や感動もはっきりと覚えている。

そういえば、小学校の時に吹奏楽クラブに入って

いろんな楽器を触って音を出してみたり、

学校の音楽の授業でやった合奏の練習がすごく楽しかったり、

好きだったコトの棚卸しをしてみると色んな記憶が蘇ってきて、

楽器を演奏して何人かで色んな音を出し合って、

一つの音楽になる事が本来好きだったコトの一つだったと思い出した。

 

その中でも自分からやろうと決めて、自分でできるように一人練習をして、

絶対に自分でできるようになりたいと思ったモノがギターだった。

 

趣味や好きなことってその時代や周りの影響によって移り変わっていくものだけど、

自分の意識に刷り込まれた記憶や潜在意識は何年経っても変わることはない。

 

現代のこの社会に生きていればどんな人でも社会に出て、

社会の中で自分の顔を持って「今」の自分を必死に生きているのは皆同じで、

だけど本当に自分が好きなコトやモノは、

子供の頃に夢見たことや衝撃や感銘を受けた事の中にヒントがあるはずで、

それを大人になったからといって封印してしまうのは本当にもったいない。

 

この自分もそれなりに年齢を重ねて今を生きている一人であるけど、

自分が好きで始めた事は忘れることができない。

どんな人でも必ず社会に出て自立して生きて行くとしても、

その結果として積み重ねてできてしまった自分を取り巻く

自分のイメージや環境に妥協してしまって、

本来自分が好きだった事をやめてしまったり、

封印してしまうのは本当にもったいない。

 

そんな理由で今年やりたい事の一つに、

好きだったギターをもう一度弾いてみようと決めた。

ヘタになっててもカッコ悪くなっててもいいじゃないですか?

トシとっていたっていいじゃないですか?

好きなんだからしょうがない。

そんなありのままの自分を表現できたらそれって最強じゃないですか。

 

今年は時間を作ってギターをもう一度弾く。

今年の目標にそれを加えました。

 

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好き。の蓄積の先にあるもの。

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娘は体を動かす事が大好きだ。

今は流行りの「恋ダンス」完璧に覚え、

暇さえあれば踊っている。

他にもEテレの「おかあさんといっしょ」のコーナーに出てくる

踊りも完璧に覚えてテレビを背中にして、

テレビの中の人の歌のお姉さんと一緒に踊っている事がよくあった。

 

踊り以外で好きなものは「キドキド・あそびの世界」。

ここが本当に大好きで、

先日横浜に帰省した時にも行きたいというので連れて行った。

 

福岡に戻ってきて一週間、こんどは福岡のキドキドに行きたいと言うので、

ついこの間横浜で行ってきたにもかかわらず再び訪れる事になった。

 

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相変わらず子供はやっぱり好きなことしかしない。

そんな子供を見ていると、やはり人間本来好きな事をしている時が

一番その人間の魅力が現れているような気がする。

 

これが大人になるにつれ周りを気にして、

好きでもない事をやらざるを得なくなり、

変に周囲に気を使い本来自分が好きだったことを封印してしまう。

 

自分自身が本来好きなことをやっている時にこそ

本当に自然でその人らしい笑顔になれるのに、

なんて不自然なことなんだろうと思う。

 

こんな小さな子供の頃に自分が大好きだと自覚できたものは、

大人になったからといってちょっとやそっとで変わるはずもない。

 

行動や意思決定の基準の全てが「好き」や「楽しい」が原点である子供を見ていると、

わざわざ自分が好きな事を封印してしまうことが馬鹿らしく思えてくる。

自分に言い訳をしてやりたいけどやれない理由を並べ、

それが大人なんだからと言って封印してしまう事がもったいない。

 

子供は本当に大人が忘れていたいろんな事を教えてくれる。

自分も子供の頃に大好きだった事を思い出し、

それをもう一度引っ張り出して、もう一度自分らしさ全開で行けたら、

それって最強じゃないですか。

 

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退職していく人が最後に残していくもの。

 

自分はおよそ4年前に、東京の中堅制作会社から現在の福岡の印刷会社に転職をした。

どんな企業でもそうだと思うし、企業規模にもよるんだろうけど、

何年かに数人程度の退職者って出るんじゃないだろうか。

 

自分が今勤めている会社も時々退職者がいる。

退職者がまったくいない会社というのも逆にめずらしいと思うので、

どんな企業でもある程度退職者がいる前提で話すとしたら、

ざっくり言えば前向きな理由で退職していく人と、

ネガティブな理由で退職していく人に分かれるんじゃないかと思う。

もちろんこの自分のように、

本意ではないのに退職せざるを得ない人もいるだろう。

 

でも、自分の意思で退職していく人の中で、

前向きな状態で退職していく人ってどの位の割合でいるんだろうか。

 

今自分が勤めている会社でもある程度の退職者がいるけど、

自分で会社を辞めますと言って辞めて行くのに、

言ってる事はまるで本当は辞めたくないんじゃないかと思えるような人もいる。

 

退職日になってこれまでお世話になったお礼の言葉を

丁寧なメールで送っていただいたり、直接話をしたりする事もあるけど、

その言葉の端々には本当は辞めたくはないし、

本当は自分の頑張りを認めて欲しい、

その頑張りを認めてほしいから認めてもらえるような気がする場所に行く、

という思いが透けて見える人も時々いる。

 

自分の頑張りと成果を認めて欲しい社員と、

売上を上げ、持続的に組織として会社を存続させ続けなければならない会社側と、

きれいに溝が埋まる時は来るのかと考えたら、

本来は企業側の未来像の中に一社員一個人としての未来像が重なり合えば、

それが一番企業と社員にとって幸せなんだろうと思うけど、

個人や企業の観点が違う以上その可能性は限りなく低いんじゃないか。

 

個人の考え方も時間とともに変わっていくし、

企業のあり方も時代とともに変化していく。

もともと正確に一致する方が難しいわけで、

そこにいちいちフォーカスしてもストレスしか生まれない。

 

結局周りがどんな状況や環境だろうが、

自分が身を置いた場所での自分自身の「在り方」なんじゃないか。

責任を他人に転嫁しても、

自分の見方や観点を押し付けても、

そこには摩擦やストレスしか生まれない。

 

どうせ会社を退職するなら、

周りの人から、惜しい人を失ったと思われるような存在の方がいいんじゃないか。

もちろん仕事の成果でそれを残せたら最高だと思うし、

そうでなくても自分がどれだけ周りの人の力になれたかで存在感を示してもいい。

 

なんにせよ、自分が何かを残して去っていくとすれば、

なにか人に対して貢献できるものを残していく方が、

後の自分のためにもなるような気がする。

 

人に何かを与えることができ、

それが自分のためにもなるというなら、

それって最強じゃないですか。

 

もし自分が今の職場を去ることがあるとすれば、

そういう意義や意味のある去り方をしたいと思う。

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自分軸と他人軸。

 

何かをやりたいとか、こうでありたい、こうしたいとか、

いつも行動や考え方のきっかけになるのは

「自分がそうしたい」からするのであって、

決して他人から見た自分がこう見えたらいいなどと考えたり、

他人に反対されたりいい顔をされなかったりしたために、

やりたい事を我慢したりするのはとても不自然だしもったいない。

 

自分も含めて人は自分が変わるのを恐れたり、

責任を取る事を避けたりしがちで、

ついつい相手が思うような自分でいようとしたほうが

考えないでいいから楽。それが他人軸。

もしくは他人に嫌われることを極端に恐れて、

自分の意見ややりたい事、考え方や行動趣味嗜好なども、

自分で勝手に制約を決めてしまうのも他人軸。

 

相手の事を慮るような行動をしたりするけど、

深く掘り下げてみたら結局相手に嫌われたくないだけの他人軸。

 

自分は以前、この他人軸の傾向がかなり強い時期が長くあり、

とても苦しかった。

ただその苦しさがどうしてなのかよくわからずに、

周りの人に迷惑をかけてはいけないとか、

わがままな事を言って周りの人振り回してはいけないなどと考えていて、

自分がいいと思う事や好きな事も出来ずに、

ただ他人の目ばかりを気にして生きていた時期があった。

ただの時間の無駄。

 

自分の行動ややることで相手がなにを言おうと、

好きな物は好きだしやりたい事はやりたい。

それについてとやかくいわれる筋合いはないし、

自分も他人についてとやかくいうつもりもない。

 

他人のやることや行動、考え方にとやかく言いたがるのも他人軸だし、

他人が「そう」じゃないと自分が困るから。

自分の弱さや足りない部分を無責任に相手に求める。

 

他人の考えや行動は自分には制御できない。

他人の行動や考え方を嫌うのは自分の課題であって、

他人である相手の課題じゃない。

 

ここを以前の自分は勘違いをしていて苦しい思いをしていて、

すべての周りの他人に合わせようとしていた。

周囲の人に合わせるのが無意識に楽だと思ってそうしていたけど、

楽をしようとしていながら結局苦しい思いをしていた。

 

まだまだその呪縛から逃れきれた思いはないけど、

以前の苦しさを全力で取り戻したく、

自分軸全開で今年は乗り切りたい。

 

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