横浜〜福岡1100km!移住デザイナーの日々つれづれ。

横浜から福岡へ移住しました。日々思ったことを淡々と綴ります。

フォーカスするということ。

 

自分がフォーカスする自分が作り上げる自分がイヤだと思う自分。

 

自分が所属しているコニュニティである会社、職場、サークル、学校、地域など、自分が置かれている状況や環境、立場と立場の関係性などにおいて、人間同士意見の食い違いや見解の相違などでぶつかることは必然のようにも思える。

たとえば、自分が働いている会社の職場でよく聞かれるのは、
「自分が成長できる環境に居ないのは、上司がそういう環境を作ってくれないから」

とか、

「会社が社員一人ひとりの成長を考えてそういった場を与えてくれていたら、社員一人ひとりもっと成長できるはず」

とか、

「こんな事を上司が言っていて、それってどうかと思うんですよね」

とかとか。

それは結局自分自身の大義名分を振りかざしているようでいて、その人の深層心理に隠れているのは、「自分をわかってほしい」という事なんじゃないだろうか。

 

人は自分の物差し、良い悪いの判断の基準を相手に当てはめて、

「だからあなたが悪い」

「だから会社が悪い」

「だから国が悪い」

「だから世界が悪い」

などと果てしなく自分以外の存在に自分が深層心理で求めている事を無意識にぶつけている状態なんじゃないだろうか。

 

f:id:juns0714:20151130225203j:plain

 

結局そうやって他者、他人、組織やコミュニティなど、自分以外の「存在」に自分の深層心理の欲求や自分が求めている限りは自分自身の成長はないんじゃなかと思う。

 

人はそれぞれに自分自身の深層心理を客観的に認識する必要がある。

 

それは自分以外の存在に自分の欲求を求めているのだから、結局は他力本願であって、自分が深層心理で自分自身が嫌いな自分を投影しているにすぎないんじゃないかと思う。自分自身今振り返って考えてみると、過去に自分の価値基準を他人に投影している時期があった。思えばあの時の自分はとてもじゃないがまったく自信がなく、それも自分自身だから受け入れざるを得ないんだけど、時間が経って今ようやく自分自身を俯瞰で見つめると、あの時の自分も今の自分自身も、結局は同じ自分なんだという事実を、かなりの時間を要して過去の自分が現在の自分に対して気づきを与えてくれたと感じる。今気づきたい事は、自分自身の邪念が邪魔をして自分では気づけないという皮肉。

 

現在の職場や自分が所属する組織やコミュニティに対して自分の観点による不平不満をぶつけたい気持ちは、過去の自分もそうであったからに他ならないが、まったくもって理解できる。しかし結局いつか自分自身で気づいていかないと自分の中に素直に腑に落ちてこない事であって、皮肉な事にそれはかなり時間が経ってから自分で気づく、この自分のような人間も多く存在するのだろうなと思う。

 

自分の成長は自分自身で作っていくしかない。自分も含めて、結果を他人に求めても自分自身に対する結果は出ないし、自分がその観点にフォーカスして自分が自分に対して自らそのような結果を作り出してしまっているような気がしてならない。