横浜〜福岡1100km!移住デザイナーの日々つれづれ。

横浜から福岡へ移住しました。日々思ったことを淡々と綴ります。

テレビは無限の時間泥棒。

 

そもそもおそらく自分はテレビ全盛世代。

 

昔は自分はテレビが大好きだった。

子供の頃は、放課後校庭で遊び学校から帰るとまずテレビをつけ、

夕方に放送されるアニメの再放送を見る。

中学・高校時代は、部活から帰宅するとやはりまずテレビのスイッチを入れ

当時流行っていた夕方に放送されるバラエティ番組を見る。

夜中は夜中で親の目を盗み、

話題の深夜番組を見ては次の日に友達とたわいのない会話のための

ネタを仕入れるためにテレビを見る。

見ていなくてもなんとなくテレビから流れてくる音声だけで、

時間感覚のスキマを埋められているような錯覚を起こしていた。

そんな生活だった。

 

確かに当時はテレビから得られる情報が自分の持つ情報のすべてだったし、

自分を形成した一部なのは間違いない。

ところが今となっては、テレビを見る時間ほど自分にとって無駄であり、

これほど時間を奪われる物はないんじゃないかとさえ思える。

もちろん、すべてのテレビ番組が無駄とは言うつもりはない。

自分にとって大切な情報源となり得る情報番組や、

ドキュメンタリーなどの教養番組については選択して時間を取り、

視聴することにはしている。

 

 

当時はテレビの情報が自分にとってすべてだった。

 

自分の幼少期から少年期にかけての昭和の時代では、

今では当たり前にあるインターネットなどはもちろん存在していなかったし、

ましてや手元で世界の情報を得ることができるスマートフォンの存在など、

想像すらできなかった。

そんな事情からテレビから得られる情報が自分の世界のすべてだと錯覚し、

テレビは憧れの存在であり、なんでも教えてくれるアイテムだった。

ところが今はどうだろう。

情報はあらゆるところから降ってきて、何を信じ、何を選べばいいのかわからない。

ネットから降りてくる情報、新聞、雑誌から読み取れる情報、

テレビで今流されている情報など、あらゆる情報が氾濫する中で、

本当に自分にとって必要な情報、正しい情報が、

必ずしもテレビの中にあるとはもう限らない時代。

少なくとも2011.3.11以降は、

そう価値観がひっくり返ったのではないだろうか。

 

テレビを見ている時間で得られるもの。

 

結局テレビを見ている時間で得られるものとはなんだろう。

笑い、感動、情報、悲しみ、喜び、、。

いろんな情報が流れては消えていく。

そこに自分の時間を割いて得られるものは何かと考えてみたら、

今、それを自分とっては受け取る必要はないものばかりだった。

故にもうあまりテレビを見なくなったのかもしれない。

おそらく、テレビから流されている情報は、

今流す側に流す必要があって、それを流すことによって得する人がいたり、

何らかの仕組みによって今その情報がテレビという媒体を通し、

発信されているということは、

もう誰もが知っている周知の事実であることに間違いないと思う。

 

ということは、自分以外の何者かによって、

有限である自分の時間を奪われていることに他ならず、

それはすなわち自分の生きている時間を差し出しているということで、

少なくとも自分の意思でその時間を過ごしているわけではない。

自分の意思で選択しテレビを視聴するのなら構わないと思うが、

なんとなくテレビから発信されている一方的な情報に人が振り回され、

翻弄されているように感じてならない。

 

なんとなくテレビをつけている時間を他の事に割くことができるなら、

自分の人生の時間はものすごく増えるような気がしてならない。

 

今本当にそれをする必要があるか。

本当に今それを得なければならない理由があるか。

 

人生に於いて常に自分に残されている時間には必ず限りがある。

 

 

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