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横浜〜福岡1100km!移住デザイナーの日々つれづれ。

横浜から福岡へ移住しました。日々思ったことを淡々と綴ります。

人はおそらく正解を求め続ける生き物。

 

自分の性格として自分でも自覚しているのが、「正解探し」だ。

世の中なにもすべて正解と不正解でできているとは思ってもいないが、

とにかく自分はただひとつの「正解」を探したがる。

困ったものだ。

 

生き方の「正解」

趣味選びの「正解」

今日食べるランチの「正解」

今日帰宅したあとの過ごし方の「正解」。

 

挙げればキリがない。

なぜそんなに正解を探したがるのか。

一般的には、人は他人に明らかな危害や迷惑を掛けないかぎり、

好きに自分の人生を選択すればいいはず。

なのに自分はいつまでたっても、「これは正解なんだろうか?」

という自問が心の奥深くで燻っている。

 

同時にもう一人の自分が、
いつもそんなに正解を探しているけど、じゃあ「正解」の基準てなんなのさ?
と問いかけてくる。

 

確かにそうだ。

なにもすべてにおいてただひとつの「正解」などあるはずがない。

人間世界72億人がこの地球に生きていて、

72億人それぞれの正解があるはずだ。

だったら本質そのものの、ただひとつの正解は、

ただひとりである「自分」の中にしかないはず。

 

それに気づく人、気づかない人。

自分のように何においても自分以外の存在に正解の基準を求める人。

他者に正解や基準を求めても、

それは他者から見た基準の正解でしかない。

自分以外はすべて他者であるわけで、

そんなに膨大な数の基準に合わせて自分が生きられるはずもない。

 

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だったらたったひとつのかけがえのない自分自身の存在そのもの自体が、

「正解」だと捉えてもいいんじゃないか。

他人の基準と自分の基準を比べて、

もちろん、相手や他者の「正解」もお互いに受け入れた上で、

どちらが正しい、正しくないなんてことを考えるのは、

とてもナンセンスなことじゃないだろうか。

 

誰もがもっと自分の奥底に眠る自分自身の「正解」に、

もっと素直でいていいんじゃないかと思う。

 

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